ねじれた家 アガサ・クリスティー 感想

2019年4月、アガサ・クリスティーの「ねじれた家」が映画化されたという記事を読んだ。

「ねじれた家」は、アガサ・クリスティーのノン・シリーズの一冊である。おなじみの探偵ポアロやミス・マープルは登場しない。映画は見ていないが、小説は最近読み直したので、その感想。

ねじれた家 CROOKED HOUSE 1949 アガサ・クリスティ ハヤカワ書房 2004

あらすじ

大富豪アリスタイド・レオニデスが急死し、他殺の疑いが生じた。レオニデスの家族である、後妻、長男夫婦、次男夫婦とその3人の子、亡くなった先妻の姉は、みなねじれた家に一緒に住んでいた。レオニデスの孫の一人、ソフィアの恋人である外交官チャールズ・ヘイワードは、ソフィアの頼みとロンドン警視庁の副総監である父の了解のもと、犯人を探ろうとレオニデスの家族に近づく。そんな中、ソフィアの妹がドアに仕掛けられた罠で頭を打って怪我をし、ばあやが毒入り牛乳で殺される。・・・

タイトルの「ねじれた家」は、マザーグースの詩「There was a crooked man」からとられている。レオニデスの一家が住んでいた邸が、多くの梁(はり)や切り妻がありねじれているように見える建物で、それがマザーグースの詩の一節(最後の2行)を連想させるというのである。

マザーグースの詩を引用しておく。

There was a crooked man

There was a crooked man
And he walked a crooked mile
He found a crooked sixpence
Upon a crooked stile
He bought a crooked cat
Which caught a crooked mouse
And they all lived together
In a crooked little house.

ねじれた男がおりました ねじれた道を歩いていたら ねじれた踏み越し段の上で ねじれた6ペンスを見つけました ねじれたねずみを捕まえたねじれた猫を手に入れて みんなで一緒にねじれた小さな家で暮らしましたとさ

(訳文は当ブログ管理人による)

詩の中の単語、stile(スタイル:踏み越し段)は、牧場や境界の柵を乗り越えるための階段のようなもので、イギリスの小説や物語などではたまに出てくる。子供の頃には「スタイル」とはどんなものだろう?と想像がつかなかったが、最近、インターネットで検索して画像を見ることができてすっきりした。家畜も乗り越えられそうに見えるが、意外とそうでもないということか。

話がそれた。

「ねじれた家」は、童謡の筋立てに沿った殺人事件に仕立てられてはいないので、クリスティの「そして誰もいなくなった」のようないわゆる「童謡殺人」の類型とはいえない。「ねじれた家」は、レオニデス一家の変わった形の住居のことであり、その家に住むレオニデスの家族それぞれの性格や関係のゆがみの象徴でもある。

この小説では、警察による捜査活動も、探偵役の位置づけのチャールズの推理もはかばかしく進まず、探偵役が皆を集めてあざやかにトリックを解き明かすという結末でもない。

また、作中ではアリスタイド・レオニデスの財力や強い性格の影響でねじれてしまった家族の性格や関係性など、家族の病理が描かれているが、それが解消するようにも見えない。小説の終盤で明らかになったアリスタイドの遺言で、孫娘のソフィアが次の家長として指名されるのだが、ソフィアの父母も叔父も弟も、アリスタイドに認められなかったことに傷つき、憤慨して、ソフィアに冷たくあたる。ソフィア自身は、祖父が亡くなる前に自分が後継者となることを告げられており、その自覚もあったことから一族の冷たい態度を冷静に受け止めるが、孤独も感じる。ミステリ仕立ての「強い家長と家族の物語」としても読めると思う。

アガサ・クリスティーのミステリーはどれも気軽に読めるわりには、人間の心理や性(さが)なども書かれており、その描写はあっさりしているようでも、深いところがあり、あなどれない気がする。

連想する他の作品1(題名は伏せます)

「ねじれた家」の終盤まで読んで、「あ、あの話に少し似てるかも。」と浮かんだ一冊があった。

世間的には、似ているとはまったく指摘されていないようなので、ここではその浮かんだ一冊の題名は伏せておく。そのもう一冊の感想も別記事に書くつもりなので、興味がある方はどうぞ。

「ねじれた家」を読んで連想した小説の感想はこちら

ちなみに、「ねじれた家」の後に、そちらも再読してみた。作品としてはかなり異なる印象のものに仕上がっているのは、登場人物の職業や性格が現代的であり、主人公の言動などによって、家族関係のゆがみもある程度解消されていくからだろうか。続けて読んだりしなければ、似ているとは思わないかもしれない。

連想する他の作品2

それとは別に、また、「あ、あれにも似てるかも。」と浮かんだ一冊があった。そちらは、その作品自体が有名であり他でも指摘されているので、挙げておく。

Yの悲劇 The Tragedy of Y 1932 エラリイ・クイーン 日本での出版は創元推理文庫(1959)や早川書房など多数

「Yの悲劇」は、エラリイ・クイーンの、ドルリー・レーンものの一冊である。エラリイ・クイーンのミステリの中では最初に読んだような気がする。エラリイ・クイーンを読んでいた頃はクリスティはあまり読まなかったし、その後、Yの悲劇は再読していなかったので、類似点には最近まで気づかなかった。

と、ここまで書いてきて、「Yの悲劇」自体が、ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」に影響を受けたと言われているのを知った。いもづる式につながっていくものだ。

グリーン家殺人事件 The Green Murder Case 1928 ヴァン・ダイン 創元推理文庫 1959

「グリーン家殺人事件」は、かなり以前に読んだが、内容を殆ど忘れていたので、読み直してみた。たしかに、「Yの悲劇」が影響を受けたと思われる点はある。捜査やファイロ・ヴァンスの推理などの展開がまどろっこしく、もっと早く犯人が分かってもよさそうなものだが、犯人の動機や結末の点では、「Yの悲劇」よりも無理がないような気もする。

出版順からいえばクリスティは、「グリーン家殺人事件」も「Yの悲劇」もおそらく読んだのだろうと思うが、個人的にはこの3冊の中では「ねじれた家」が面白かった。

クリスティの自信作でもあるようだ。

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