不条理な殺人 四人の女 パット・マガー 劇場 サマセット・モーム

パット・マガーの「不条理な殺人」を読んだ。パット・マガーは、「被害者を探せ」や「七人のおば」が有名だが、未訳だった本作が2018年に出版されたのだ。

不条理な殺人 原題 MURDER IS ABSURD 1967 パット・マガー 創元推理文庫 2018

不条理な殺人 あらすじと感想

俳優のマーク・ケンダルと女優のサヴァンナ・ドレイクは、結婚以来、常に共演し人気を博してきた。サヴァンナと亡くなった前夫レックス・ピアソンとの間の息子ケニーが脚本を手がけた芝居「エルシノアの郊外」が、初公演を迎えることになり、マークはそのタイトルがハムレットと関連していることが気にかかる。17年前のレックス・ピアソンの死について、当時4歳だったケニーが何かを知っているのであれば、それを探り出そうと、マークは自分もその劇に出演することにした。不条理劇には不慣れなマークは、初めはぎこちなかったが、徐々に共演者たちともケニーともなじんでいく。そこへサヴァンナが現れ、自分も出演すると主張したことで、軋轢が生じる。そして迎えた初演の日・・・

パット・マガーの「被害者を探せ!」や「七人のおば」は、かなり以前に読んだ。なぞときもさることながら、登場人物の人間関係や心理面が読みどころだったと思う。

「不条理な殺人」も、サヴァンナの性格がなかなか強烈である。サヴァンナは自分のことしか考えていない女優であるが、夫のマークはそのことを直視せず、サヴァンナを愛し常にその望みどおりにしてきた。しかし、マークには俳優としてのプロ意識があり、サヴァンナに演技力がないという点には幻想を抱いていない。

マークが、義理の息子ケニーが書いた脚本の演劇公演に参加する中で、ケニーとの関係が改善していき、逆に、マークが愛妻サヴァンナの呪縛から離れていくところが面白かった。

俳優としての生き方や、ケニーとマーク、ケニーとサヴァンナとの関係がハムレットになぞらえられている部分、話の展開と芝居が密接にからみあって進む部分など、何となくサマセット・モームの「劇場」を思い出した。「劇場」はサマセット・モームの長編の一つで、人気と実力を兼ね備えた女優ジュリアを主人公とした小説である。

劇場 原題 THEATER 1937年 ウィリアム・サマセット・モーム 新潮文庫 2006年

劇場 あらすじと感想

46歳の人気女優ジュリアと、美男俳優で劇場運営者でもあるマイケルは、演劇界で活躍している夫婦である。ジュリアは、ふとしたことから若い会計士のトムと不倫の関係を持つが、トムはジュリアの引きで社交界に一定の立場を得ると、若い遊び仲間や若い女優との恋愛に気持ちを移していく。トムに恋心を抱くようになっていたジュリアは密かに苦しむが、トムとの関係を知らない夫のマイケルから、舞台での自分の演技がひどいものだったと指摘されると、我に返る。休養をとり、次の舞台に備えるうちに、ジュリアのトムに対する気持ちも落ち着き、演技に集中できるようになる。休暇後、トムの恋人である若い女優のエイヴィスと共演することになり、一計を案じたジュリア。

ジュリアも、「不条理な殺人」のサヴァンナと同様、自分本位な女優であり、息子のロジャーのこともまったく理解できていない。ロジャーから、「空っぽの部屋へ入ってゆくあなたを見ると、僕はときどき、いきなりドアを開けてみたいと思いました。でも、もしやそこに誰もいないんじゃないかと思うと、ぞっとしたもんです。」と言われるほどである。

しかし、ジュリアがサヴァンナと異なるのは、ジュリアには演技力があり、演技のことを第一に考えている点である。ジュリアは自分に起こる出来事も、自分の感情も、みな演技として昇華してしまう。夫との関係も、サヴァンナが夫のマークに依存しつつ利用しているのとは異なり、ジュリアとマイケルは、互いを知り尽くした同志のような関係であり、根っからの演劇人である。

演技力のない女優サヴァンナは自分の魅力で思い通りに周囲を動かそうとするのに対し、「劇場」のジュリアの方は、何もかも演技力で乗り切っていくところに、ジュリアの凄さを感じる。

私自身は、演劇は観る方も演じる方もそれほど興味を持たずにきたが、演劇などを題材にしたミステリや小説はなかなか面白いと思う。

ところで、ロジャーがジュリアを評した「空っぽの部屋」のくだりは、パット・マガーの他の作品「四人の女」の中で言及されている。

四人の女 原題 FOLLOW, AS THE NIGHT 1950 創元推理文庫 1985初版 新版2016

四人の女

人気絶頂のコラムニスト、ラリーは、前妻、現在の妻、愛人、フィアンセを、新居披露のパーティーに招いた。新居は贅沢なペントハウスで、ラリーにとって成功の証である。そのテラスの手すりがぐらついていることを知ったラリーは、「彼女」をそこから突き落として殺そうと決意したのだ。それは招いた四人のうちの誰なのか。

パット・マガーのミステリでは「被害者を探せ」が一番面白かったと思うが、「四人の女」も「七人のおば」と同様、ラリーの性格や、妻や愛人たちとの関係が読みどころ。

終盤、ラリ-が、前妻のシャノンと話す場面。

「あなたが闘っている相手はわたしじゃないわ、あなた自身よ。前に、サマセット・モームの芝居を見たことがあるわ。いつも観客を意識して、いつもポーズを作っている女優の話。ある人が彼女に、誰もいない部屋に入ったらどうなるのかとたずねるのー誰も見てくれる人がいなかったら、消え失せるのか?って。あなたもそれとおんなじ。」

モームの「劇場」が舞台化されたことはないようだが、このくだりは、どう見ても「劇場」のジュリアのことだろう。

「不条理な殺人」のサヴァンナも「四人の女」のラリーも、そのもろさのために自滅してしまうが、「劇場」のジュリアは、したたかである。

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