ふたりのロッテ 丘の家のジェーン 再読

レゴ 赤いバケツのパーツ
レゴ 赤いバケツのパーツ

夏休み。子供は毎日のんびり楽しんでいる。

夏休みといえば、「ふたりのロッテ」という児童書を再読してみた。なぜ「夏休み」に「ふたりのロッテ」かといえば、生き別れていた双子のルイーズとロッテが再会したのが、スイスのサマースクールだったというだけなのだが。

ふたりのロッテ 岩波少年文庫 2006年 エーリッヒ・ケストナー作 池田香代子訳  原題:Das doppelte Lottchen 1949年

子供の頃に読んだ版ではなく、翻訳者も違っていたが特に違和感はなかった。

ふたりのロッテ

あらすじの紹介。

スイスのサマースクールで出合った瓜二つの女の子たち、ウィーンから来たルイーズとミュンヘンから来たロッテ。誕生日も同じ。最初は互いに警戒していたが、徐々に打ち解けていく。ロッテが持っていたママの写真を見て、ルイーズは、パパが飾っていた写真の女性だと言う。自分たちが双子だと確信した二人は、サマースクールからそれぞれの家に帰るときに入れ替わる。初めは親や周囲の人たちに不審がられながらも、何とか新しい生活になじんでいくルイーズとロッテ。ところが、パパが別の女性との再婚を決めたため、ルイーズとしてパパのもとにいたロッテは悩み苦しみ病気になり寝込んでしまう。同じ頃、そっくりな二人の女の子を写した写真がスイスから雑誌社に送られてきたのを見たママは、ルイーズとロッテがサマースクールで出会っていたことを知り、二人が入れ替わったことにも気がつく。

スイスのサマースクールで過ごすなんて、気持ちよさそうでうらやましい。

それはさておき、子供の頃読んだときには、入れ替わった双子が失敗をしながらも新しい生活に慣れていくところ、周囲の人は「何だか変だな」と思ってもまさか入れ替わったとは思っていないところが、面白かった。

あとがきによれば、もともと映画の脚本として作られたらしく、そのせいもあってか、ストーリーはテンポよく展開する。「ふたりのロッテ」の父母の離婚の原因も二人が若すぎたこと、指揮者兼作曲家である父が家庭をおろそかにしたこと、雑誌編集者であった母に独立心があったことなどと、やや単純化されているきらいがある。復縁もあっというまで、ハッピーエンドだ。

しかし、今回再読して最も印象に残ったというか心が痛んだのは、父親の再婚話に悩み苦しむロッテの姿である。

個人的には、不仲の夫婦は、冷たい険悪な家庭生活を続けるくらいなら離婚すればよいと考える方だが、再婚には慎重になった方がよいと思う。

というあたりで、以前は気づかなかった、別の本との類似にふと思い当たった。「丘の家のジェーン」、赤毛のアンで有名なモンゴメリの小説である。

丘の家のジェーン 新潮文庫 1960年 L.M.モンゴメリ作 村岡花子訳

原題:Jane of Lantern Hill  1937年

手元にあった新潮文庫を再読。今は、新潮文庫は品切れ?絶版?だが、角川文庫(2011年 木村由利子訳)が出版されている。角川文庫版は読んでいないが、村岡花子訳の新潮文庫版を読んだことがある人は、角川文庫版には違和感を覚えるようだ。

丘の家のジェーン

あらすじ。

カナダのトロントに住む11歳のジェーンは、母ロビン、祖母ビクトリア、伯母ゲルトルード(ロビンの異父姉)と裕福な暮らしをしている。亡くなった祖父の遺産で経済的には恵まれているが、圧政的でジェーンを嫌う祖母のもとで息苦しさを感じている。そんなある日、死んだと思っていた父アンドルーが生きていたことを知る。その後、突然父から手紙が来て、ジェーンはプリンスエドワード島に住む父のもとで夏休みを過ごすことになる。予想に反してジェーンは父を好きになっただけでなく、プリンスエドワード島では、トロントではできない自由で自律した日々を過ごし、心身ともに成長する。翌年も父のもとで夏休みを過ごし、秋にトロントに戻ったジェーンに、父の姉アイリーンから手紙が届く。手紙の中で、父の再婚がほのめかされており、不安になったジェーンは急遽プリンスエドワード島へ向かう。再婚などしないと父から聞かされ安心したジェーンだが、発熱して重態となってしまう。

「ふたりのロッテ」のロッテとルイーゼは双子で、「丘の家のジェーン」のジェーンは一人娘だが、存在を知らなかった父のもとで暮らす(ロッテ)、できなかった料理が得意になる(ルイーゼ)、父の再婚の不安に脅かされる(ロッテ)、娘の病気をきっかけに父母が再会するなど、何となく類似する点がある。出版年からすると「ふたりのロッテ」が後であるが、カナダとドイツという文化圏の違いを考えると、似通った点は偶然なのだろう。

また、同じハッピーエンドでも、「ふたりのロッテ」より「丘の家のジェーン」の方が、ジェーンの内面や成長ぶり、ジェーンと父母をめぐる人間関係などがもう少しきめ細かく描かれている。

例えば、祖母ビクトリアが娘ロビンを溺愛しつつ支配し、ロビンが妻として母として成長するのを妨げ、ロビンは束縛を感じつつも逆らえないといった母子関係の病理。祖母ビクトリアは、今でいう「毒親」の部類に入るだろうか。また、アンドルーの姉アイリーンは、弟の妻ロビンに対して傍目にはわかりにくい嫌がらせをし、夫婦関係の破綻に一役買っていたというのもいかにもありそうな話しである。祖母が孫のジェーンを嫌っていることを示す数々のエピソード、弟のアンドルーだけがかわいい伯母アイリーンが姪ジェーンに表面的には親切にしつつ、扱いにくいかわいげのない子供だと思っていること。ジェーンが2年目の夏にも父を過ごすことを選択したことで、「母である私ではなく父を選んだ」と受けとめる母との葛藤。親族関係がよくない家庭の子は、様々な嫌な気持ちを味わうものだ。

もっとも、厳しい祖母、美しいだけで気が弱い母、理解のある父、自信のないジェーンと類型的にとらえると、少女漫画風に読めるかもしれない。

祖母の管理下から離れ、理解のある父のもとでジェーンが知的にも精神的にも成長していく姿や、プリンスエドワード島の自然や親切な村人の間で生き生きと過ごす様子も読みどころである。

ハッピーエンドではあるが、よく読むと、いろいろ考えさせられる内容だと思う。

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