小説の中のバラ5 バラの構図

Hunting Scene のマグカップ Wedgwood
Hunting Scene のマグカップ Wedgwood

バラを育てるようになってから、バラに関係することに意識がいくようになった。心理学用語でいう「選択的注意」というあれだろうか。

子供の頃に読んだ、タイトルに「バラ」が含まれていた本を思い出して、再読してみた。

バラの構図 A PATTERN OF ROSES 1972年 K.M.ペイトン 訳 掛川恭子 岩波書店

K.M.ペイトンの本では、ほかに「フランバーズ屋敷の人びと」のシリーズがある。

バラの構図 あらすじ

高校卒業資格試験に11科目通ったものの、将来親の会社に入るのがイヤで、かといって他の何がしたいわけでもなくうつうつと過ごしている16歳のティム(ティモシー・リード・イングラム)。引っ越してきた田舎にもなじめずにいたが、家の改装工事中に見つかった、古い屋敷の絵に、1910年2月17日という日付とともに自分と同じT・R・Iというイニシャルが書かれていたのが興味を惹いた。その直後からティムはその絵を描いたトム(トーマス・ロバート・インスキップ)の幻影を見るようになるが、墓地で見つけた墓石には、T・R・Iの文字と1910年2月18日という日付が入っていた。トムは16歳の誕生日を迎える前、屋敷の絵を描いた翌日に亡くなっていたのだ。ティムは親しくなったレベッカとともに、トムについて調べ始める。

バラが登場するのは初めの方、ティムが墓地でトムの墓を発見したときに、近くにスミレ色のバラの茂みがあったという場面である。

「バラの茂みがあった。めずらしいくすんだスミレ色の花が、色あせた花弁を草の上にまきちらしていた。」

「ティムは、こんなめずらしい色のバラの花を見たことがなかった。母親がつくっている雑種のティーローズは、プラスチックの袋からすぐ消毒ずみの土に植えかえられ、大げさな赤い花を咲かせたが、新品のレンガを背にすると、ぞっとするほどいやらしかった。花には、「レーダー光線」とか、「オレンヂ色のセンセーション」とか、「あらまあ」などという名前がついていた。」 (ばらの構図)

スミレ色のバラ

墓地での場面のところで、「ああ、ここにバラが出てきた」と、続きを読まずにスミレ色のバラの品種を考え始めた。

墓地のバラの茂みの描写はあまり詳細ではない。「スミレ色」はヴァイオレット(Violet)の訳だと思うが、ヴァイオレットは青みの強い紫である。

いわゆるブルー系のバラの第1号とされているのは、ハイブリッドティーのスターリング・シルバー(1956年)であるが、赤紫系で淡い色合いである。近年は、かなり青みの強い品種も増えてきたが、1970年頃までのモダンローズだと紫といってもそれほど青みが強くないように思える。

作者はハイブリッドティー系統がそれほど好きでもなさそうだし、墓地の荒れた墓石の辺りに植えられていたバラの茂みが、この本の執筆当時の最新品種というのも不自然である。物語の中のトムが亡くなった1910年に既にあったバラの中で、赤紫系統のオールドローズを中心に考えてみることにした。

イメージに合いそうなバラをいくつか挙げてみる。

カーディナル・ドゥ・リシュリュー 画像はこちら

ユアインネルン・アンブロ

ウィリアム・ロブ 画像はこちら

レーヌデヴィオレット 画像はこちら

シャルル・ドゥ・ミル 画像はこちら

一番青みが強そうなのは、カーディナル・ドゥ・リシュリューだろうか。ユアインネルン・アンブロもなかなかよい感じ。レーヌデヴィオレットは、咲き進むと青みが強くなるバラで、名前にヴァイオレットが含まれるあたり、可能性が高そうだ。

オールドローズの多くは一季咲きで大きくなるため、庭に植えるバラとしては選ばなかったのだが、美しいオールドローズの画像をたくさん見ているうちに、欲しくなってしまった。やはり、1つくらい植えてみたい。

さて、候補となるバラが挙がって落ち着いたところで物語を読み進むと、終盤にちゃんとバラの名前が出てくるではないか。

「スミレの女王ですね。メイが植えたんですよ。秋に。」(ばらの構図)

スミレの女王! レーヌデヴィオレット! (レーヌ(Reine)はフランス語で女王の意味)

バラの名前が判明して、すっきり。

さっさと先を読めばよかったのだが、ああでもないこうでもないと考えるのも楽しかった。

全き精神的恩恵

本の内容に話を戻すと、トムに絵を教えていた牧師の娘、メイ・ベリンジャーは存命で、ティムが手紙を出してみたところ返信があった。その手紙の一節。

「トムの一生は短いものでしたが、とても幸せでした。というのも、トムはおおくを望まず、与えられたものを神のみ恵みとしてうけいれ、全き精神的恩恵の中にいられたからです。こんなことは、お若いあなたがたにはおわかりにならないでしょうし、わたくしにしましても、それがいいことがどうかは、申し上げられません。」 (ばらの構図)

ティムは、この手紙の「全き精神的恩恵」という部分を、古風でつまらないとさえいえる表現で、説教くさいと感じながらも、忘れられず、自分の生き方について考える。スピードの出る大きな車もほしいし、「全き精神的恩恵」も捨てたくない。

ティムは、「全き精神的恩恵」を求めて親の敷いたレールから外れて鍛冶屋の見習いになると同時に、そこから成功を目指す道も探り始める。

「こんなことにだって、突破口が、高くめざすものがなくちゃならない。それがなけりゃ、またトムに逆もどりだ。トムにはそんなものは、何一つなかったんだから。ほかの人はいざ知らず、少なくともトムは、年をとって死ぬまでペティグリュー氏のために働きつづけて、心から幸せだと思うほど、おめでたかったとは思えないな。トムの『全き精神的恩恵』もすりきれちゃうだろう。」(ばらの構図)

訳者あとがきでは、こうしたティムの生き方や作者の書き方に若干批判的だが、個人的には、経済的成功を目指すルートからドロップ・アウトして平穏に生きることを選ばないからといって、ティムや作者を批判するのはあたらないような気がする。親の後を継がなければ、成功の別の道など考えずに清貧な生活に安住しなければならないという理由はないと思う。

ティムは、突破口がなかったトムの置かれた状況と、感受性の強いトムが生きていたら味わったかもしれない幻滅も想像すればこそ、社会的・経済的な成功も、全き精神的恩恵も獲得したいという自分の気持ちに素直に向き合っているのだと思った。

そこまで考えて、ふと、トマス・ハーディの小説「日陰者ジュード(ジュード・ジ・オブスキュア)」(1895年)を思い出した。

ジュードは、貧しい孤児であったが向上心に燃える若者で、学問を志すが挫折し、恋愛や結婚生活でも苦悩を味わい不幸と失意の中で病死する。才能や向上心のある労働者階級の若者が、環境に甘んじても(トム)、突破口を目指しても(ジュード)報われないことも多かった100年以上前の時代。

大げさな赤い花

墓地の場面で、ティムが比べていた「母親がつくっている雑種のティーローズ」もどんなバラか調べてみた。

原文にあたると、「雑種のティーローズ」は、ハイブリッドティー(Hybrid Tea)のことで、名前の挙がっているバラの英語名は以下のとおり。赤やオレンジの華やかなバラで、「大げさな赤い花」という描写に近い。どれも美しいと思うのだが、作者は、大輪のハイブリッドティーがあまり好きではないのかもしれない。

レーダー光線 Radar メイアン 1953 画像はこちら

オレンジセンセーション Orange Sensation DE RUITER 1961 画像はこちら

おやまあ Oh La La 見つかった画像 ※フロリバンダと表記されている

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