息子を連れてある展示会を見に行った際のことだった。
小学生の息子は、そのイベントには興味がない。私と夫が展示を見ている間、会場内に貼られた世界地図などを見て退屈を紛らわせていた。
そんな息子に、イベント主催者の関係者の方が親切に話しかけてくださった。息子は、初対面の方には緊張することもあるのだが、その方にはすぐに打ち解けていった。私と夫が展示を見る間しばらく息子をみていてくださるというので、申し訳なかったがご厚意に甘えることにした。息子は、ノートに自分の好きな大昔の生物などの絵を描いて見せたり、その名前などを熱心に説明したりしていた。その方には大変感謝している。
さて、そんな風に過ごした息子とともに主催者や関係者の方々にお礼を言って、展示会の会場から出ると、車の方へ向かうとき、息子がスキップしながら一言。
「あー、楽しかった!」
次に公園に行くことにしており、「早くいこーよー」とか言われるんだろうなと思っていたところに意外な言葉で、今も印象に残っている。
話しを聞いてもらう喜び
話を聞いてもらうというのは、それほど満足を感じることなのだと改めて感じた。
親の私たちも息子の話は聞くようにしているが、もっと聞いてもらいたいと物足りない気持ちがあったのだろうか。普段の様子やそのときの様子からすると、どちらかというと、初めて会う大人が自分の話をきちんと聞いてくれて嬉しかったのと、相手の方が波長のあう人だと感じて話しやすかったから余計に楽しかったのかなと思うが、よくわからない。
子供は、自分の話を聞いてもらえると、自分の存在が受け入れてもらえた気持ちになるのだろう。いや、そう感じるのは子供に限ったことではない。私自身、自分の話を聞き流されるのはあまり面白くないことだ。
話を聞くことには、相手との関係性が現れるし、きちんと聞くということは、相手を尊重しているということでもあるのだろう。カウンセリングでも、相手の話をよく聞くことが重要だという。
何となくそんなことを考えていると、子供の頃に読んだ「モモ」という本が頭に浮かんだ。映画化もされているが、映画は見ていない。
モモ Momo ミヒャエル・エンデ 1973 大島かおり訳 岩波少年文庫 2005
モモ
印象に残っているのは、主人公の女の子「モモ」の相手の話を聞く態度である。
モモのように聞くのは難しい。
話を聞く態度の他にも、床屋のフージーさんが毎日行っていた一日の回顧や、道路掃除夫のベッポが長い道路を掃除するときに「つぎのひとはきのことだけを考える」取り組み方など、「モモ」を読んで心に残っていることは多い。
大人になって再読すると、エンデが影響を受けたシュタイナーの思想を読みとろうとしたり、寓話として読んでしまったりする意識が強くなっていた。子供の頃の方が楽しんで読めた気がする。