映画 グリーンブック 感想

ショパン Op25-11 エチュード 木枯らし
ショパン Op25-11 エチュード 木枯らし

飛行機で見た映画が意外と印象に残ったので、その感想。

グリーンブック Green Book 2018 アメリカ 監督ピーター・ファレリー 主演ヴィゴ・モーテンセン 共演マハーシャラ・アリ

あらすじ

1962年のアメリカ。ニューヨークのナイトクラブで用心棒をしていたトニー・ヴァレロンガは、勤務先のナイトクラブが改装工事をする間収入が途絶えるため、ジャマイカ系黒人ピアニストのドン・シャーリーのコンサートツアーに、運転手として同行する職を得る。ツアー予定地は人種差別の根強く残る南部各地であり、ドンがトラブルに合わないよう、トニーはドンの用心棒やマネージャーとしての役割も果たさなければならない。ツアーを組んだドンのレコード会社担当者から旅行案内書「グリーンブック」を渡され出発したトニーとドンは、衝突を繰り返しながらツアーの行程をこなしていく。

実在した人物とエピソードをもとにした映画。テーマは重いが、基本的にトーンは明るい。

トニーは、イタリア系で、学歴よりも口と機転と腕力で生きてきた人物。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を勤め、マフィアとのつながりもうかがわれるというように、白人社会の中では低く見られがちな要素はあるが、家族思いで責任感もある。そんなトニーには、黒人に対する偏見や差別意識があり、映画の序盤では、黒人の作業員が使ったグラスをゴミ箱に捨てるといった描写がある。細かく見ると、考えさせられる描写は他にもいろいろある。

トニーの機転や腕力は、ツアーに同行して何でも屋の役割を果たすのにも役に立つが、受けた教育、教養、生活水準などの点では、博士号を有し、ピアニストとして活躍しているドンには遠く及ばない。最初はお互いにいけすかないやつだと感じていたのが、トニーはドンのピアノの演奏に、ドンはトニーのトラブルを解決する能力などに一目置き、互いに相手を見直すようになる。

南部で目にした黒人差別はトニーにとっても理解に苦しむほどだが、教養があり、身なりも立派なドンは、黒人からも違和感を持って見られている。イタリア系として白人社会の中では差別を受けることもある立場のトニーだが、ドンが受けてきた差別やその複雑な立場にも思いが及ぶようになる。

アラバマ州での演奏会の前には、ドンがレストランで食事をすることを主催者側から拒絶されてしまう。結局、二人は主催者の提供する食事はとらず、黒人向けの店に行く。ドンのタキシード姿は周囲から浮いており、他の客からの視線は不穏な雰囲気さえある。ウェイトレスとの会話から、ドンが店のステージのアップライトピアノを弾くシーンは、この映画のクライマックスの1つである。

演奏会ではスタインウェイしか弾かないドンが、この店のピアノを弾くのか、何の曲を弾くのか。ドンが弾き始めると店中の者が魅入られたように聴き入り、弾き終えたときには、盛大な拍手と歓声が起こる。その興奮の中で店のバンドマンが演奏を始めると、ドンもセッションに加わっていく。

ドンが弾いたのは、ショパンのエチュード、OP25-11。「木枯らし」の通称でも知られる。

グリーンブック ジム・クロウ法

コンサートツアーに出発するときにトニーが渡された「グリーンブック」は、映画のタイトルにもなっているが、1936年から1966年まで発行されていた、黒人ドライバー向けの旅行案内書の通称である。当時、アメリカの南部諸州には、総称してジム・クロウ法と呼ばれる人種差別的な州法があり、有色人種が利用できる施設が限られていたため、仕事などで長距離を移動する黒人ドライバーにとっては、利用できる宿泊所、給油所、自動車整備工場等が掲載されたグリーンブックは必携の書であったらしい。こんな旅行案内書があったというのは、この映画で初めて知った。

ドン・シャーリーが、映画の終盤、レストランで食事をするのを断られるのも、当時のアラバマ州法では、白人と有色人種が同じ部屋で食事ができるようなレストランは違法になることもあったということが背景にある。もっとも、かわりに用意された控え室が物置きのような乱雑な小部屋であったことは、招待者側の人種差別意識の現れといえるだろう。

アラバマ州は、小説「アラバマ物語」(原題 To Kill a Mockingbird ハーパー・リー著 1960年)、その映画化である「アラバマ物語」(1962年 アメリカ)の舞台であり、公民権運動の高まりのきっかけとなった、モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年)があった州でもあり、それを背景とした映画「ロング・ウォーク・ホーム」(1990年 アメリカ)の舞台でもある。

映画「グリーンブック」では、移動して次の演奏会の目的地に入るとその州の名が表示され、どの州を訪れているか分かる。公民権運動などについて学校教育を受けたアメリカ市民や、公民権運動に関心のある人は、アラバマ州に入ったところで「何か起こるのでは」と感じるのかもしれない。私は、映画を見ているときにはストーリーを追うのに夢中で、何州に入ったといったことにはあまり気をとめておらず、後になって気づいたことである。

ジム・クロウ法は、公民権運動が高まる中1964年に廃止された。

アカデミー賞三部門受賞

グリーンブックは、第91回アカデミー賞で、作品賞、脚本賞、助演男優賞(ドン・シャーリー役のマハーシャラ・アリ)を受賞したことでも注目を浴びた。

映画「グリーンブック」のトニーとドンの関係の描かれ方には、二人の間柄は友人関係ではなく事実と異なる、白人の視点からの都合のよい描写である、などといった批判がある。他にも、差別の描写が手ぬるいとか、この映画がアカデミー賞を受賞したことにも、批判があるようだ。また、単に、ありがちで平凡なストーリーという評価や感想も見受けられる。

個人的には、単なるハートウォーミングストーリーというだけでもないような印象を受けた。たしかに終わり方はハッピーエンドだが、考えさせられる場面はたくさんある。

トニーが、黒人を差別から救う救済者として描かれているという批判についても、トニーはその場その場で何とか難を切り抜けていくが、差別する人や社会を変えることはできていない。トニーがドンをトラブルから助けるのも、そもそもそれが用心棒であるトニーの役割だから当然であろう。また、二人とも警察署に留置された場面では、そうなったのはトニーが自分も侮辱されたことにかっとなり警官を殴るという最悪の対応をしたためで、釈放されたのは、ドンの人脈のおかげである。

トニーとドンの関係性については、結局のところは当人同士にしか分からない部分だろう。映画の中でも、品位を保つことで差別を受け流し自分の尊厳を守ろうとするドンの孤独は、イタリア系大家族の中で育ってきたトニーに完全に分かるはずもなく、「俺は自分が誰か分かってる」とドンを批判する場面では、トニーの単純さにハラハラする。そんなに簡単に理解しあえるものではないのだ。

しかし、トニーの素朴な善意や好意はドンにも伝わるわけで、仕事上の関係でも、立場が違っても、気持ちが通じ合うことはありうる。トニーが妻宛に手紙を書くのをドンが手伝ったのが事実だったのであれば、互いに好意はあったのだろうという気がする。

賛否があるということは、この映画がそれだけ注目されたということでもある。グリーンブックのような案内書がかつて存在したことが、この映画によって広く知られるようになったということは意味があることのように思う。

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