鏡は横にひび割れて

アガサ・クリスティー
アガサ・クリスティー

イングリッシュローズのバラ、レディオブシャーロットの名の由来となったのはアルフレッド・テニスンの詩「The Lady of Shalott」である。この詩をモチーフにしたアガサクリスティの小説「鏡は横にひび割れて」を再読してみた。

鏡は横にひび割れて

アガサ・クリスティー 早川書房(1979)

原題 THE MIRROR CRACK’D FROM SIDE TO SIDE 1962

アガサ・クリスティーのミス・マープル物の長編の1つ。

女優のマリーナ・グレッグが、ミス・マープルの住むセント・メアリー・ミードの屋敷を買い引越してきた。マリーナが地元のパーティーのために屋敷を提供したところ、その席上で、招待客の一人であったミセス・バドコックが急死し、ミス・マープルがその謎に取り組むというのがあらすじである。

原題からして「レディオブシャーロット」の一節である。本文に「レディオブシャーロット」が登場するのは、パーティーに出席していたバントリー夫人が、友人のミス・マープルに当時の状況を説明していた際のことである。被害者の死の直前に会話していた際のマリーナの表情を描写するのに詩の一節を引用し、「鏡は横にひび割れぬ。『ああ、呪いが我が身に』とシャロット姫は叫べり。」、そういった表情をしていたというのである。なぜそんな表情をしていたのか、ミス・マープルが追求し、謎が解き明かされていく。

以前に読んだときには、「レディオブシャーロット」の詩の内容は知らなかった。知らなくとも特に支障はなく、面白く読める。

レディオブシャーロット

最近イングリッシュローズのレディオブシャーロットを手に入れ、名の由来となったのがテニスンの詩「レディオブシャーロット」と知り、ようやく、どんな詩だろうと読んでみた。

原詩はかなり長いが、概要は、次のようなものである。

シャーロット島の城には、呪いをかけられた姫君がただ独り住んでいる。姫君は外の世界を鏡に映る像で見るだけで、もっぱら織物を織る日々を過ごしている。しかし、恋人たちが語り合うところを鏡で見て以来、自分の生活に飽き足りなさを感じる。ある日、シャーロット島の近くを、誉れ高い円卓の騎士サー・ランスロットの一行が通りかかる。シャーロットの姫君は、サー・ランスロットの立派な姿を鏡で見て、思わず機を織る手を止めて窓に走りより、その目でさらに見ようとする。そのとき鏡が真横にひび割れ、姫は「呪いが我が身に!」と叫ぶ。死すべき運命を悟ったシャーロットの姫君は城を出て、サー・ランスロットが向かっていた、アーサー王の都キャメロットの方を見つめる。近くにあった小舟に乗って鎖をとき、姫君は舟底に身を横たえる。姫君を乗せた小舟は川を漂い出てキャメロットの方にたどり着くが、シャーロットの姫君は既に息絶えていた。

詩の内容を知ったうえで、「鏡は横にひび割れて」を読んでみると、以前とは少し違う楽しみ方ができた。

例えば、詩を知っている場合、シャーロットの姫君とマリーナを重ね合わせて、「マリーナは最後に死ぬんだろうな」と何となく予想しながら読む。予想通りなのか、逆をいくのか。(私は再読なので結末まで知っているが。)

また、シャーロットの姫君は外の世界は鏡に映してしか知らず「こんな影の世界にはうんざり!」と思うようになるのだが、クリスティにとって映画女優は影の世界に生きているというイメージなのかな、などと思ったりする。

こんな具合で、さらに詩を深く読み込んだ人なら、いろいろ浮かぶイメージがあるかもしれない。

ベッリーニの聖母子

ほかに、重要なモチーフとして、聖母子の絵が登場する。作中、ミス・マープルが「ジャコモ・ベリーニの<ほほえむマドンナ>ですわね。」と言っている絵である。ルネッサンス期の画家、ヤコポ・ベッリーニの聖母子像のどれかのことかなと思うが、クラドック主任警部が絵を見ているときの描写からすると、ヤコポの息子のジョバンニ・ベッリーニのサン・ジョゼッペ祭壇画が近いような気もする。まあ、ベッリーニに限らず、自分の好きな聖母子像をイメージして読んでもよいかもしれない。

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鏡は横にひび割れて (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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