にわか観る将 読んだ本その3 先崎学「うつ病九段」「将棋指しの腹のうち」

先崎学九段は、羽生善治九段と同じ1970年生まれの将棋棋士で、エッセイストとしての仕事も多い。

先崎学九段がうつ病を患ったことは、インターネットの記事でも読んだことがあったが、本人の体験記が出版されていると知って、読んでみた。

うつ病九段 著者 先崎学

うつ病の発病時から回復までの経過が、淡々とした筆致で述べられている。回復期にリハビリをかねて書いた記録を、書籍化したという。

私は単行本を読んだが、文庫化もされており、漫画版も出ている。

うつ病九段 著者 先崎学 文藝春秋社 2018年7月

先崎九段は、発症前、漫画「3月のライオン」の監修者として、映画化関連のイベントなどで超多忙であったという。本書には詳しくは書かれていなかったが、インターネットで読んだインタビュー記事などによると2016年から2017年にかけての三浦弘行九段の将棋ソフト不正使用疑惑騒動(第三者委員会による調査の結果、冤罪として終結)に際して、先崎九段も、将棋業界の危機ととらえて、将棋ファンが離れないよう「何とかしなければ」、という気持ちで「3月のライオン」関連のイベントを片端から引き受けたらしい。精神的ストレスに、過労や睡眠不足などが重なったのがよくなかったのだろう。

治療経過や回復に要した期間は、うつ病の解説などで典型的とされているような経過に近いようであり、治療がうまくいった方のケースのようにみえる。実兄が精神科医で早期にうつ病に気づき、早期に入院できたことや、家族や関係者に理解があり、治療や療養に専念できたのもプラスだったのだろう。

印象的だったのは、発症したと本人が感じた(これは普通の不調ではないと感じた)日が特定できることだった。

このように、ある日突然というような形で不調に陥った、悩んだり考えたり感じたりするエネルギーがない、電車に飛び込むイメージが1日に何十回も浮かぶ(稀死念慮)といったあたりや、病状が特に重い時期を抜けても、普段できていたことができない、棋士なら一瞬で解けるはずの七手詰めの詰め将棋がなかなか解けないというあたりを読むと、うつ病は脳の病気なのだなと感じた。

病状が最悪を脱してからは、朝は決まった時間に起きること、散歩に行くことなど、兄の助言を忠実に実行する先崎九段。心身を休めること、自然に触れ、身体を動かすということは、心身の健康のために大事なことなのだと改めて思った。

回復されて、よかった。

将棋指しの腹のうち 先崎学

先崎九段のエッセイはもともと軽妙な文体だったが、うつ病から回復後に書かれた本書は、さらにどこかふっきれた様な軽快さである。といいつつ、先崎九段の著書を読んだのは「うつ病九段」が初めてで、他の著書はその後に読んだのだが。

本書は、先崎九段が、食や酒の席を通して棋士の世界を書いたもので、日本将棋連盟のある千駄ヶ谷界隈の店などがとりあげられている。

将棋指しの腹のうち 著者 先崎学 株式会社文藝春秋 2020年1月

第一局「みろく庵」は、日本将棋連盟近くにあったそば屋・居酒屋(2019年3月に閉店)。藤井二冠がデビュー後の連勝中にみろく庵から出前をとったことをきっかけに、メディアにとりあげられ話題になっていたことを、先崎九段は自身のうつ病闘病中のために知らずにいて、中村太地七段から、みろく庵が将棋ファンの「聖地」(思い入れのある場所)となっていると聞き、驚いたという。

先崎九段のうつ病の原因となったほどの、将棋ソフト不正使用疑惑事件と将棋連盟の対応についての批判や不信感といった暗い影が、藤井二冠の活躍により吹き飛んでしまっていたことにも驚いたことだろう。

第四局「チャコあめみや」は、これも日本将棋連盟近くのステーキ店。先崎九段と羽生九段との若い頃のエピソードや、2004年3月の、A級順位戦最終局を生放送するNHKの番組で先崎九段と羽生九段が解説したときのエピソードなどを読み、二人の間柄が垣間見えて興味深かった。

実は、「うつ病九段」の中で、退院後に羽生九段と会ったときのやりとりがそっけないというかなんというか、少し気になる感じだったのだが、Number 1010号に掲載されていた先崎九段のエッセイや、本書を読んで、普段の羽生九段とのやりとりが、長年の仲間同士という感じであるのがよくわかった。

「チャコあめみや」は、「師弟 棋士たち 魂の伝承」(著者野澤亘伸 光文社 2018年)の中で、佐々木大地五段が、奨励会受験前に師匠の深浦康市九段からステーキをご馳走してもらい、「『強くなれば、こういうものをたくさん食べられるよ』って言われて、それは印象に残っています。」という思い出話にも登場する。

第五局「焼肉 青山外苑」のエピソードも印象深かった。東京体育館で超大型将棋盤による公開対局があったのは、1996年11月14日(日)の将棋の日のイベントのようである。エピソードの内容はネタバレになるので本書を読んでいただくとして、先崎九段に声をかけられて応じた佐藤康光九段(2017年2月より将棋連盟会長)の度量の大きさには、さすがと感じた。

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