このところ読んでいたのは、奨励会を退会した人たちに関する本。
奨励会(新進棋士奨励会)は、日本将棋連盟のプロ養成機関である。厳しい競争を勝ち抜き、四段に昇段すると晴れてプロ棋士となれる。
将棋の子 著者 大崎善生
奨励会を退会していった若者たちを描いた本として、最初に読んだのは「将棋の子」。
著者は、日本将棋連盟の職員(「将棋世界」編集長など)として、奨励会会員や棋士たちと身近に接してきただけあって、エピソードは豊富である。
将棋の子 著者 大崎善生 講談社 2003年5月(文庫版。単行本は2001年5月刊行)
「将棋の子」には、年齢制限により退会していった奨励会員や、年齢制限ぎりぎりで四段に昇段した棋士のその後が描かれており、メインに取り上げられているのは、著者と同郷の成田英二である。
成田英二は、二段で奨励会を退会後、学歴もなく職を転々とし、借金を重ねるなど、苦労の連続である。成田が奨励会で二段から昇段できなかったのは、定跡や序盤中盤を研究しないという本人の信念や頑なさによるところもあったが、羽生世代の台頭による将棋の変化という時代の流れにもよるのだろう。
成田が、将棋を好きでいつづけていることと、著者と再会した後、将棋指導の職を得ることができたことには少しほっとする。
プロローグで描写されている、1995年度下半期第18回奨励会三段リーグの最終日の様子も印象深い。この日四段昇段の可能性を残していた6人の中で、最終日の対局の勝敗と順位(前の期の成績)の差により、大逆転で四段昇段を決めたのが、中座真(七段)であった(敬称略。段位は2020年12月現在。以下同様)。その一方で、12勝4敗で二番手に位置していた野月浩貴(八段)は、最終日の対局で勝ち星を挙げられず順位の差で四段昇段を逃し、また、瀬川晶司(六段)はこの期を最後に年齢制限で奨励会を去って行った。
後日読んだ、「泣き虫しょったんの奇跡」などの瀬川六段のプロ編入試験にまつわる経緯が書かれた本には、中座七段や野月八段も、反対や賛成の立場で登場している。
「将棋の子」の登場人物は実名で、主人公も存命なので、具体的なエピソードが多くて大丈夫かなという気もしたが、そこは著者と登場人物の間の関係性によるのだろう。
オール・イン 著者 天野貴元
「天才 藤井聡太」(著者 中村徹 松本博文 文春文庫2018年11月)に引用されており、奨励会退会者自身が書いた本は少なく、特に著者は三段リーグに在籍していたとあって、興味を持った。
オール・イン 著者 天野貴元 株式会社宝島社 2014年3月
1985年生まれの著者は、1996年に奨励会に入会、16歳で三段に昇段したが、年齢制限により2012年3月に奨励会退会。退会後、舌がんの手術を受け将棋普及の活動をしていたが、2015年に死去。
著者略歴からは、努力がかなわず、夢破れ、失意のうちに亡くなったというようなイメージもあったが、読んでみるとそういう感じではなく、本人の語り口も明るく軽快である。
著者自身、プロ棋士になれなかった理由はひとことで言うと「遊び過ぎた」ことだと述べている。「おまえは天才なんだから、遊びさえやめれば絶対に勝てる」と言ってくれる人がたくさんいたという。
しかし、プロ棋士を目指し奨励会に入会した会員で、天才と言われたことがある若者は少なくないのではなかろうか。
最近読んだエッセイ集「棋士という人生」の中の、高柳敏夫名誉九段の「愛弟子・芹澤博文の死」という追悼文に、「芹澤も死ぬまで自分を天才だと思っていました。このことが、どれだけ芹澤の人生に作用したことか。」、「しかし、純真な子供にとってうぬぼれはよいことではなかったかもしれない。だから、八年後の昭和三十二年に小学校五年の中原誠が入門してからは、一切『塩釜の天才』なんて記事は見せなかった。」と述べられている。才能がある子供を、むやみに「天才」ともてはやすのも考えものだということか。
本書に戻ると、両親が共働きだった著者は、小学生のときに学童保育施設ではなく将棋の道場(八王子将棋クラブ)に通うことになる。最初は負け続きで「僕はすぐに将棋が嫌いになった」とあるが、鍵を持たされていなかったため家にも帰れず、道場に通い続けるうちに勝てるようになり、将棋一色の生活になる。著者は、小学校3年生のときに、上野松坂屋将棋こども大会、小学校低学年の部で優勝し、小学5年生のときに小学生名人戦で準優勝しているので、ある程度向いていたのだと思うが、最初のきっかけが、自分から将棋を好きになり夢中になったというわけでもなかったようだったのが気になった。子供の導き方というのは難しいものだと思う。
また、勝手な感想だが、あまりプロ向きの性格ではなさそうだなと感じてしまうところもあった。
例えば、著者が、小学生名人戦に出たときのこと。テレビに出ることをクラスメートに自慢したり、勝負よりもパフォーマンスに走り、奇をてらった手を指したりするあたり。子供らしいといえばそうなのだが、羽生九段や谷川九段、現在のタイトルホルダーたちが、大事な対局で勝負よりもパフォーマンスに走る姿は、子供の頃にしても想像できない。
著者が20歳を過ぎて迎えた第39期(2006年4月~9月)の三段リーグでも、残り4局の時点で11勝3敗と昇段を狙える成績でありながら、得意戦法を使わずに敗退しているのだが、それも「特段の理由があったわけではないのだが、勝負はラス日なのだから、ここでシャカリキになるのもみっともない。そんな程度だったと思う。」とある。そこはやはり、シャカリキになるべきではなかっただろうか。
どうやら、相手の指したい手を消し合う戦い方をしないと勝てなくなってくるのが、奨励会の級位の上の方から初段あたりのようで、そういった将棋に魅力を感じられるタイプでないと、そこから先が厳しくなっていくのかもしれない。
奨励会~将棋プロ棋士への細い道~ 著者 橋本長道
昨今の将棋ブームを受けて、2018年に出版された本。
1984年生まれの著者は、中学生将棋王将戦で優勝し、1999年から2003年まで奨励会に4年間在籍、1級で退会し、大学へ進学。大学卒業後は銀行勤務を経て、現在は文筆業。
奨励会~将棋プロ棋士への細い道~ 著者 橋本長道 株式会社マイナビ出版 2018年6月
本書は、奨励会に関する説明などを自分の体験を交えて書いたものである。著者は1級で退会しているので、三段リーグの体験談はないものの、その観察や感想は興味深い。
例えば、自分が退会した後に奨励会仲間で集まったときに、三段リーグにいる仲間に、奨励会時代に、「わかっていながらできなかったこと」を説教したエピソードがある。それは、強くて研究熱心な年下の会員に研究仲間としてもらうことだという。なるほどと思った。
しかし、研究仲間にしてもらうにしても、「年下の人間に頭を下げて将棋を教えてもらうのは心理的に大きな障壁がある。相手も弱い者や志が低い者とは研究をしたくはない。結局のところ、将棋に打ち込み『この人になら時間を割いてもよいかもしれない』と相手に思わせることが重要になってくる。」とあるように、真剣さがないと難しいのである。
また、著者と同じ井上(慶太九段)門下の船江恒平七段が、四段昇段後の祝勝会で、「あの人らは全然違うわ。君やオレとは全然違う。」と、弟弟子の菅井達也八段が一日十時間以上将棋の勉強をすることについて語ったというエピソードがある。船江七段は、これに触発されて船江七段も将棋の猛勉強をして四段に昇段したという。
菅井八段は、タイトルをとり順位戦A級に入るなど、トップクラスの棋士の一人として活躍している。
若い頃の夢
奨励会に関する本を何冊か読んで感じたのは、自分の夢であり目標であっても、そのことに集中しきることは難しいものなのだなということだった。
年齢制限は公務員試験や他の職業にもあることだが、将棋棋士の場合、目指す年齢が小学校中学年~中学2年生頃と早いので、本人の適性や熱意を見極めること、高校大学等の進学との兼ね合い、途中であきらめる場合のタイミングなどが悩ましいのだと思う。
三段リーグを抜けられるかどうかは紙一重といわれつつ、タイトルをとるような棋士は、三段リーグでの成績も勝ち越している期が多く、比較的短期間で抜けていっている。才能があるだけでなく、将棋に対する熱意が並外れているなど、何か突き抜けたものがあるのだろう。