10月31日はハロウィンの日。今年2018年は平日にあたるが、直前の週末に渋谷駅周辺に集まった人々がハロウィンの大騒ぎをし、逮捕者も出たという。
ハロウィンなんて関心ないよ、という人も多いだろう。私も、数年前までは何もしなかった。ハロウィンの日が何月何日かもあまり意識していなかった。
今は子供が喜ぶので、ジャックオランタンや窓に貼るジェルシールや、ちょっとした仮装を用意したりする。家庭内で楽しむだけだが。
かぼちゃのプリンも作ってみたり。子供は野菜をあまり好んで食べないが、カボチャは嫌がらないので重宝である。
若い頃は今よりもっと頭が固くて、バレンタインデイやクリスマスなどの行事に、「歴史的文化的背景もないのに」、「クリスチャンでもないのに」、「商業主義的だ」と抵抗があったのだが、最近はゆるくなって日本では単なるイベントの一つなのだと考えるようになった。
ハロウィンは、もともとケルトの祭祀で収穫祭と厄除けを合わせたような祭だったらしい。北米では、20世紀前半頃には既に宗教色の薄い行事として広まっていたようだ。
エラリイ・クイーンのミステリの一つに、ハロウィーンの日に仮装した子供たちがいたずらをしてまわる様子がちらっと出てくる。
三十一日は狂乱の一日だった。《丘》の家々は一日中だれが鳴らしたともわからないドアのベルで悩まされた。舗道には色のチョークで恐ろしい記号が書かれた。夕方になるといろいろの衣装をつけた奇怪な小鬼たちが、顔に絵の具を塗り両腕を振り回しながら町中をとびまわった。ほうぼうの家の姉たちはいろいろのコンパクトや口紅がなくなっているのを知っておこり、その晩多くの小鬼たちが叩かれてヒリヒリ痛む尻をかかえてベッドにはいった。とにかくなにからなにまで陽気で郷愁をさそった。夕食前に近所を散歩したクイーン氏は、もう一度子供にかえって、十月三十一日のハロウィーンのわるいいたずらをやってみたくなった。(災厄の町)
災厄の町
エラリイ・クイーンがおしのびで訪れた地方都市、ライツヴィル。「災厄の家」と呼ばれる家を借り、家主のライト一家とも懇意になる。そこへ、数年前、結婚式直前に婚約者と仲違いをして街を去ったジム・ハイトが戻ってくる。ジムは、婚約していたライト家の次女ノーラと仲直りをして結婚し、もともと二人の新居として用意された家、「災厄の家」に住むことになる。しばらくして、ジムの妹ローズマリー・ハイトがライツヴィルに来る。それ以来、平和で幸福であった新婚生活は壊れてしまう。新年前夜のパーティでローズマリー・ハイトが砒素により中毒死し、前後の状況からジムが逮捕、起訴される。ノーラはジムの無罪を訴えるが・・・
原題 CALAMITY TOWN 1942 エラリイ・クイーン
災厄の町 早川書房 1977年
エラリイ・クイーンの中期の長編であり、一連のライツヴィルものの1作目。エラリイは苦労して事件を解明するが、公表せず、関係者二人だけにその説明をする。エラリイは、自分にとって特別な街となったライツヴィルをこの後も繰り返し訪れる。
「災厄の家」では、ノーラと妹のパットがジムの本を整理しているときに、毒物学の本の間から3枚の封筒が落ち、ノーラが、封筒中の手紙を読んでショックを受けるところから悲劇が幕を開ける。その日はハロウィンであり、ジムが奇怪な仮面をかぶってふざけるとノーラは失神してしまい、意識が戻った後も様子がおかしい。その後も、事件や節目が、感謝祭、クリスマス、新年、バレンタインデイ、復活祭、母の日に生じる筋立てとなっている。
楽しいはずの祝日のたびに事件が起こることで悲劇的な雰囲気が増しているが、結末は救いを感じさせるものとなっている。
ちなみに、私が読んだのは、1977年版の青田勝氏の翻訳だが、2014年にハヤカワ・ミステリ文庫の新訳版が出たことを知った。新訳は、越前敏弥氏の翻訳である。
Amazon
災厄の町
災厄の町〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)