バラを育てるようになり、デイヴィッド・オースチン社のイングリッシュローズに「ブラザーカドフィール」という品種があるのを知って、嬉しくなった。ブラザーカドフィールは、エリス・ピーターズの小説の主人公である修道士の名である。
ブラザーカドフィール イングリッシュローズ
ブラザーカドフィール Brother Cadfeal 1990年 イギリス David Austin
修道士(ブラザー)カドフェルを主人公とする、長編20巻、短編集1巻からなる一連の小説は、日本では1990年から社会思想社の現代教養文庫から出版されていたが、2002年に出版社が倒産、版権が光文社に移った。私が持っているのは、光文社文庫版だ。
小説の舞台は、イングランドの王位をめぐる内乱の時代、1135年から1154年のイングランド西部のシュルーズベリ。主人公のカドフェルは若い頃十字軍に参加し、壮年を過ぎてから、シュルーズベリにある、ベネディクト会の聖ペテロ聖パウロ大修道院の修道士となった人物だ。
一話ごとに事件やトラブルや解決を必要とする出来事が生じ、カドフェルの活動によりそれが解き明かされる。同時に、愛し合う若い男女が愛を確かめ合い、恋人同士になったり結婚に至ったりする、というのが定型である。ミステリとしては物足りないと感じる人はいると思うが、カドフェルをはじめとする主要登場人物の人柄ややりとりに味わいがあり、ミステリ要素のある読み物として楽しめる。
ピュアなピンク色のバラ「ブラザーカドフィール」は、十字軍の戦士であった修道士カドフェルのずんぐりがっちりした姿には似つかないが、カドフェルの温かい心にはぴったりだと思う。著者のエリス・ピーターズも喜んでいたのではなかろうか。
植栽場所が無限にあればブラザーカドフィールも植えてみたいのだが、ピンクのバラは他のを選んでしまったので今のところ見合わせている。見合わせているうちに、取り扱いがなくなったりすると残念だが。
ブラザー・カドフェルのシリーズ中にバラを主題とした一冊があることを思い出し、再読。
代価はバラ一輪 修道士カドフェルシリーズ13巻
エリス・ピーターズ 光文社文庫 2005年
原題 THE ROSE RENT 1986
舞台は1142年のシュルーズベリ。数年前に夫を亡くし子も流産してしまった、服地商ベスティア家の女当主ジュディス・パール。ジュディスは、夫と暮らした家を修道院に贈り、修道院は代価として、毎年その家のバラの茂みから一輪の白バラを払うという取り決めをした。代価が払われる約束の日が近づいたある日、その白バラの木が切り裂かれ、その下で若い修道士が殺されていた。その後、ジュディスが行方不明になり、ベスティア家の使用人の若者が死体で発見され・・・一体誰の仕業なのか。というあらすじ。
さて、バラ好きになった今では、修道院に贈られた家の賃料とされた白バラの品種は何かが気になるところだ。
1142年当時、イングランドで育てられていた白いバラというと、アルバローズの古いタイプだろうか。
アルバローズとは、オールドローズ(バラの栽培種の古いもの)の基本4種のうちの一つで、白系のバラである。ヨーロッパの野生種の自然交配によって生まれたと考えられており、アルバ(alba)はイタリア語で夜明けの意味。
アルバローズの白いバラで今も見られる古い品種としては、アルバ・セミプレナ、アルバ・マキシマがある。この二つのうちでは、アルバ・マキシマの方が古い時代から確認されており(1500年以前)、アルバ・セミプレナはアルバ・マキシマの枝替わり品種とされている。
しかし、花形などからすると、アルバ・セミプレナが古代のアルバローズにもっとも近いと考えられているようだ。ボッティチェリの名画「ヴィーナスの誕生」に描かれている白いバラも、アルバ・セミプレナではないかと言われている。
アルバ・セミプレナは長岡市の越後丘陵公園のオールドローズのエリアで見られるようなので、いつか行ってみたいと思っている。
「代価はバラ一輪」では、最後に、修道院からジュディスの家を借りていた職人の幼い娘の名が「ロサルバ」(ロサ・アルバ)であることが分かる。この少女の名からすると、作者は、白いバラの品種としてアルバローズを想定していたように思われる。個人的には、アルバ・セミプレナをイメージして読んでみた。
ロサルバという名の少女は物語の筋とは殆ど関係がないのだが、この少女が登場する場面は小説の終わりを温かいものにしている。
リッチフィールド大聖堂とリッチフィールドエンジェル
修道士カドフェルシリーズの中には、「リッチフィールド」という地名も時々登場する。
リッチフィールドは、シュルーズベリの東側に位置する、大聖堂のある都市だが、イングリッシュローズ好きにとって、リッチフィールドといえば、バラ「リッチフィールドエンジェル」が頭に浮かぶ。
リッチフィールドエンジェル Lichfield Angel 2006年 イギリス David Austin
リッチフィールドエンジェルの名の由来となった天使の像は、ライムストーンの石板に彫刻されたもので8世紀頃のものだという。
リッチフィールドの地には7世紀頃から教会が建てられ、11世紀頃から石造りの大聖堂となり、12世紀末から現在に残る大聖堂の建築が始まったらしい。そうすると、カドフェルシリーズの時代設定の頃(1140年前後)には、リッチフィールドには既に石造りの大聖堂があり、天使の像も訪れた者が見える位置にあったのではなかろうか。その後の内戦でリッチフィールドが荒廃したりする中で天使の像は見失われ、再発見されたのは2003年である。
エリス・ピーターズが亡くなったのは、修道士カドフェルシリーズを執筆中の1995年。もし、この天使の像の再発見がもう10年早くて、カドフェルシリーズに登場していたらなどと考えるとなんとなく楽しい。