映画「グリーン・ブック」を見て、以前見た映画「ロング・ウォーク・ホーム」を思い出した。
「ロング・ウォーク・ホーム」は、1955年のアメリカ南部、アラバマ州モンゴメリーでのローザ・パークス事件とバス・ボイコット運動を背景とした映画である。ローザ・パークス事件というのは、公営バスの白人優先席に座っていたローザ・パークスが、運転手からの指示に従わず、白人に座席を譲らなかったことで逮捕された事件である。この事件に対する抗議活動が、モンゴメリーの黒人たちがバスの利用を拒否したバス・ボイコット運動である。
たまたまテレビで見たのだが、いろいろな点で印象に残っている映画だ。
ロング・ウォーク・ホーム 原題 The Long Walk Home 1990 アメリカ
あらすじ
アラバマ州モンゴメリー。ミリアム・トンプソン(シシー・スペイセク)は、白人中流家庭の主婦で、黒人に対して特に悪感情はないが、差別問題に関心があるわけでもない。通いのメイド、オデッサ(ウーピー・ゴールドバーグ)は、頼りになり2人の娘たちも懐いている。そのオデッサが、バス・ボイコット運動に参加して、9マイル(約14㎞)の道のりを歩いて通うようになったことで、出勤が遅れたり、疲労により仕事に支障が出るようになる。ミリアムは、オデッサにきちんと働いてもらうために車で送迎するようになる。
感想
見たのはかなり前だが、折にふれて思い出す映画である。一度しか見ていないので、記憶違いやネタバレの部分があったら申し訳ないが、感想を書いておく。
普通の主婦だったミリアムが、オデッサを送迎するようになるのは、仕事をきちんとしてもらわないと困るというのがきっかけだったが、次第に、差別問題を真剣に考えるようになる。このような、身近なちょっとしたことがきっかけで問題意識を持つようになるというのは、誰にでもありそうなことだ。それまで関心がなくても、自分に関わりができると、見えてくることや、考えることはいろいろあるものだ。
それが一時的な関心で終わることもあるが、ミリアムの問題意識は消えずに、始めた頃よりも積極的にバス・ボイコット運動を助けるようになる。
ミリアムとオデッサの関係にも、これまでの単なる雇用関係から個人の結びつきへと変化が生じるものの、記憶では、そのあたりの描写は控え目だったと思う。映画を見た若い頃には、それが何となく物足りなく感じたが、その後思い返しているうちに、オデッサとミリアムはお互いの信条を理解しつつ、その立場も思いやり、立ち入りすぎないようにしていたのだろうと考えるようになった。
オデッサの真情は、夫から反対されて家庭が崩壊しそうになっても協力を続けるミリアムのために祈る姿に現れている。
ミリアムの夫ノーマンは、ミリアムがオデッサや他の黒人を送迎することに反対するが、弟のような急進的な差別主義者ではなさそうである。ノーマンも、オデッサや他の黒人に悪感情があるわけではないが、差別を当たり前のことと感じており、世間体を気にし、自分の評判が傷ついたり自分の妻子がトラブルに巻き込まれるのは困るという事なかれ主義なのだろう。映画では理解のないひどい夫に見えるが、どこにでもいそうな人物でもある。
ノーマンとミリアムの生き方にはそれほど差はなかったようなのに、ミリアムはバス・ボイコット運動に協力するようになる。ミリアムの方がオデッサと身近に過ごしていたことのほかに、ミリアム自身、夫に従属的であったことに気づいたということや、社会的秩序・政治的立場といったものを男性のようにはとらえていなかったということもあるかもしれない。
ノーマンの弟とその仲間は、バス・ボイコット運動やそれに協力するミリアムたちの活動に暴力で制裁を加えようとし、その場にいたミリアムも襲撃されるが、ノーマンはミリアムをかばう。黒人たちは暴力に反撃することはせず、歌い始め、ミリアムも歌に加わるというエンディングである。
淡々とした映画だが、身近な差別問題、社会問題に自分がどう関わるのかを考えさせられる。
ちなみに、バスの利用者には黒人が多かったことから、バス・ボイコット運動は、モンゴメリーのバス事業にかなりの打撃を与えたようだ。その後、1956年に、連邦最高裁判所により、バス車内での座席の区分に関するモンゴメリーの条例が違憲であるとする判決が出され、モンゴメリーでのバス・ボイコット運動は終結した。全国的には、その後、公民権運動が高まっていく。公民権運動の中心人物であった、マーチン・ルーサー・キング牧師は、「ロング・ウォーク・ホーム」には直接登場はしないが、演説などの形でその理念や影響力が描写されている。